沖縄の結婚式は余興への情熱がハンパない ~オドロキの沖縄式披露宴~
異文化すぎる沖縄の披露宴
ジューンブライドといえば月の女神JUNEとローマ神話で結婚の女神JUNOに由来する、6月(June)に結婚する花嫁は幸せになるといわれる伝説ですが、もともとヨーロッパの6月は雨が少なくて復活祭もあることからお祝いムード満点の月でもありました。しかし沖縄の6月と言えば梅雨明けから台風シーズンに入る雨の多い季節。結婚式場側からすると、イベントで前々から契約を取っておかないと大変な思いをしてしまいそうな月です。
沖縄では招待客100名~300名は普通!?
そんな沖縄の披露宴事情のなかで今日は沖縄特有の設備である「舞台」と「余興」のお話。本土で行われる披露宴の出席者は50人から多くても100人程度で、宴の内容もお色直しとキャンドルサービスなどメインイベント以外の時間は歓談タイムとしてお二人の食事とご返盃の時間となるのが普通ですよね。しかし沖縄の披露宴は一回りも二回りも想像を超えた内容と言えると思います。 沖縄の結婚式は方言で「ニービチ」といって、招待客の平均は100人から300人!!!私がブライダルアドバイザー時代に経験した最大招待客は36卓の418名でしたが、通路は狭くおなかを凹ませないと移動できず、トイレへ向かうのも一苦労というありさまでした。
余興の数が半端ない!沖縄県人は披露宴はとことん楽しむ!
それでも披露宴に参加する客は思いっきり楽しんで帰っていきます。それは「披露宴を楽しむことこそ新郎新婦がもっとも喜ぶことと知っている」から。そんな沖縄の披露宴でも、全国放送のテレビ番組でも取り上げられるほど変わっているといわれるゆえん、それは余興!プログラムが進行する数は半端な数ではありません。
そこでまず簡単なプログラムの流れを先に紹介してしまいましょう。
2.新郎新婦紹介
3.祝いの挨拶 ・・・両家親戚もしくは両親のお世話になっている方
4.余興 祝いの舞(かぎやで風)・・・親戚もしくは知人
5.お色直し(新郎新婦退場)
6.余興
7.余興 ・・・両家親戚や友人・知人
8.余興
9.ウェディングドレス入場、キャンドルサービス、ケーキカットなど
10.新郎職場代表挨拶
11.新婦職場代表挨拶
12.新郎友人挨拶
13.新婦友人挨拶
14.お色直し
15.余興
16.余興
17.カラードレス入場
18.両親への花束
19.終宴の挨拶
20.余興 エイサー
21.余興 カチャーシー
(実際のプログラムでは「4」「9」などといった忌み数は使用されません)
とまあ余興の多いこと多いこと!!
しかもよく見てください。新郎新婦がひな壇に着席していない時間に余興が行われていることに気づきますか。宴の主役は新郎新婦であることに間違いはありませんが、招待客が楽しんでもらうこともお二人にとって大事なことであることを熟知しているので、両家親族や友人、職場仲間の中から芸達者な人たちが腕まくりしながら待ち構えていることこそウチナーニービチの特徴と言えます。
でも実際に披露宴の打ち合わせをしていくうえで、ほとんどの新郎新婦が「余興が見られない」ことに驚きます。何度も披露宴に参加したことがあるはずなのに、自分の余興が新郎新婦のいない時間に行っていたことをこの時すでに忘れている方が多いですね。どうにかして自分たちのいる時間内に余興が行われるよう調整をしていくことがほとんどですが、2時間半という制約の中でイベントを詰め込むことには限度があります。結局延長料金を払ってでもゆっくり楽しみたいという方のために舞台裏のスタッフにはかなり無理をお願いいていたことが思い出されます。
余興用の舞台の大きさが半端ない!体育館級の大きさ
そんな余興が行われるのは本土では考えられない、体育館の舞台の半分ほどの広さもある余興舞台で行われます。本土ではせいぜい挨拶用のお立ち台で歌を歌ったり司会者の横にスペースを設けてちょっとしたダンスがあったりということだとおもいますが、沖縄では余興者がひとりの舞踊でも数十名の友人が集まった小劇団のコントも、どちらも同じ舞台で行われます。もちろんホテルや専門式場それぞれで広さは大きく変わりますが時には舞台から降りて招待客をも巻き込み、ベテラン司会者が収拾できず最後は司会者に怒られるという一幕も見たことがあります。余興が盛り上がりすぎて司会者が怒るなんて、きっと沖縄ならではの風景ではないでしょうか。
ひと味違う沖縄式披露宴の席配置
通常披露宴の席で、主賓とは招待客のこと。そして新郎新婦はひな壇ですが、(本土では)両家家族やご親族は末席へ卓を配置するのが常識ですよね。
そしてひな壇の横に設置された台で挨拶をいただき、余興者が歌を歌うなど招待客が楽しめるよう配置されています。
しかし、沖縄式披露宴でもしっかりと反映されているのですが、本土から列席したご両親からお叱りの言葉をなんどもいただいたのが、以下のような卓配置です。
ひな壇の目の前がご両家席となっていることがお分かりでしょうか。
ひな壇に向かって左側が新郎側招待客、右側が新婦側招待客というも同じなのですが、ひな壇に近いほうが親族、会場中ごろが職場や両親知人関係者、もっとも末席側が友人となっているのです。本土から初めて来沖して初めて沖縄式披露宴に参加されたご両親としては、招待客が末席にいることが非常識だとして式前にフロントへお怒りの言葉をいただきます。
でも沖縄では余興のすべてがひな壇と対面していて末席の目の前に鎮座する、ドデカイ舞台で行われます。ということは、主賓である招待客に楽しんでもらおうということであれば舞台から最も遠い席、ひな壇前が末席と言えるのです。
(本土ご出身の)お怒りのご両親にはそのいきさつなどをお話しさせていただき、なんとか納得されるのですが首をかしげながら控室へお戻りになられる後姿は、スタッフとしていつも複雑な心境です。
ウチナーニービチに欠かせない「かぎやで風」
プログラムの「かぎやで風」というのは大変歴史のある沖縄の祝いの舞のひとつで、琉球王朝時代に中国や薩摩の客をもてなす宴会の場で披露されていた老男女の踊りです。両家の親族や知人に琉舞経験者がいるか、いなければその余興だけに呼ばれる琉球舞踊の教室の先生にお願いするほど沖縄の披露宴では必須な余興です。
そんなかぎやで風の歌詞はというと、沖縄方言(ウチナーグチ)と合わせてみました。
標準語(古語)
今日の誇らしゃや なほにぎやなたてる
蕾で居る花の 露きやたごと
標準語(現代語訳)
今日のうれしさは、何にたとえられようか。
まるでつぼんでいた花が、露に出会って花ひらいたようだ。
沖縄方言
(実際の発音を文語化したので読みにくいですが、合いの手も入れてみました)きゆぬふくらしゃや なうにぢゃなたてぃる
つぃぶでぃうるはなぬ つぃゆちゃたぐとぅ ヨーンナ
ハリ つぃぶでぃうるはなぬ つぃぶでぃうるはなぬ つぃゆちゃたぐとぅ ヨーンナ
この唄ができたエピソードはどこかで聞いたことのあるような物語です。
昔、琉球の王様が重い病にかかりました。余命いくばくもないと悟った王様は枕元に家臣たちを呼んで、どうか世継ぎの王子をもりたて国の安泰につくしてほしいと遺言しました。
ところがこの王子には問題がありました。口をきかないのです。王様の死後、国頭親方(くにがみうぇーかた)と城間親方(ぐすくまうぇーかた)は「口のきけない者を王にはできない」と、王子の腹違いの弟を王にたてようと画策をはじめます。
先王の遺言を守って王子の側についたのは、大新城親方(うふあらぐすくうぇーかた)ただひとり。多勢に無勢、窮地に立たされた大新城親方は、王子にむかって、「ひとことなにかおっしゃってください。このままでは、わたしは切腹して先王にお詫びするほかありません」と言うと、刀を腹に当てました。
すると、
「待て、大新城!」
と一声。今までひとことも口をきかなかった王子が、初めて声を出したのです。
飛び上がって喜んだ大新城親方が、踊りながら即興で詠んだのがこの唄だといわれています。(出典:「わかりやすい歌三線の世界」勝連繁雄著 ゆい出版)
なお、余談ではありますが、それとは違う逸話が沖縄の地方紙である琉球新報で取り上げられていたので一部抜粋して紹介します。
「かぎやで風節の原歌の由来は1470年にさかのぼる。第二尚氏の始祖尚円王(金丸)が若く不遇だったころ、奥間鍛冶屋にかくまわれ、世話になったという。尚円が王位に就いた同年、世話になった恩から同鍛冶屋の次男正胤を国頭按司に取り立てた。正胤がその喜びを即興で詠んだのが原歌だという。
原歌は「あた果報のつきやす/夢やちやうも見だぬ/かぎやで風のつくり/ぺたとつきやさ(思いがけない果報が身に付くとは夢にも見なかった。鍛冶屋で物を造る時のように風格がわが身にぺたっと付いた)」という歌詞。」(琉球新報 2011年10月19日付)
ウチナーニービチにおける衝撃的かつ爆笑必死の余興
前述したようにかぎやで風は、ウチナーニービチでは最初に踊る余興です。
じつはこのかぎやで風は、新婦を迎える新郎側が執り行うことになっています。新郎家ご両親や姉妹、いとこといった親族、もし経験者がいなければ伝手を頼って琉球舞踊教室の先生にお願いして踊っていただく場合もあります。
その場合踊り手の方は出演が終われば片づけをされて帰られるのですが、来場する時間の開宴1時間前には来て、舞台の広さや音響をしっかり確認されて本番に臨みます。舞台裏には4帖ほどの控室が設けられている場合もあり、他の余興者とおしゃべりをしながら出番を待っていたりします。
余興で多いのは、やはりアイドルなどの集団でのダンスと歌でしょうか。
AKB48やキャリーぱみゅぱみゅ、ももいろクローバーZといったアップテンポの曲に合わせて、揃いの衣装を身につけてダンスを披露する新婦友人や会社の同僚たち。そんななかで異彩を放つのは新郎友人の余興です。
どうしても若い男性のみの余興というのは度を超えて面白くしようと力を入れすぎる感が強いですよね。なぜか下ネタ系やヨゴレ系に偏ってしまいます。できるだけ見る側が楽しく盛り上がる余興にしていただけたら、音響など裏方のスタッフ一同も全力で支えさせていただくのですがね。
最近増えてきたのは事前に余興をビデオで撮影・編集して当日は流すだけというビデオ型。新郎新婦の会社や母校、思い出の居酒屋や公園などに早朝集まり、怪しい衣装をつけてコントを撮る、それはあたかも地元の映画研究会が必至に撮影しているかのようです。
でも通りがかりにその撮影に気づいたとしても、たいていの地元民は「また余興用の撮影している」と気づくほどありふれた光景なのです。
私が担当した披露宴の余興でも、両家親族や会社が全面協力でビデオ余興が作成されていました。実家の新婦の部屋でニセ新婦とニセ新郎が寄り添う場面から始まり、学生時代や遊んでいたころ、就職して働いている姿などのスナップ写真を関係者から集めて編集し、思い出のビデオアルバム用に作成されていました。両家の実家でそれぞれの家族とともに食事をしている日常を再現され、プロポーズの場面も再現されており、おふたりとしてはなんとも恥ずかしい余興でした。
しかし最後は両家家族、友人、同僚、上司も全員でのお祝いメッセージが入っていて最後まで心温まる余興でした。列席できない関係者を中心にメッセージが撮られていて、新郎新婦としても一緒に楽しんでいるかのような一体感を感じさせてくれました。
本土からの招待客は必ず驚く、沖縄流余興の楽しみ方
今の余興のメインは日本で流行りのグループの曲が使われることが多く集団で踊れて楽しいものがメインとなっているものも多いのですが、どうしてもヨゴレ芸が入ってしまうのがたまにキズ。国際通りのスクランブル交差点に仮装して早朝集合し、信号の間に交差点のど真ん中で踊るのを当日編集ビデオで流すぐらいならまだ良くて、舞台にビニールシートを張ったかと思ったら招待客の中から参加者を募ってスイカの早食い競争が始まったことも。そうなると次の演者のために舞台の掃除をしなければならないので舞台裏のスタッフと汚した客と一緒にモップ掛けして、後日来店した新郎と私が一緒に支配人へ頭を下げた苦い思い出があります。
ウチナーニービチでよく見かける余興
ビデオレター
共通の友人が手掛ける出演者多数のショートムービー。時には両家実家にまで上がり込んで家族も巻き込んだものまで。
友人がおふたりを演じ出会いからの秘密を暴露されることもある。
ダンス
グループサウンズなど披露宴に盛り上がる曲を選んで数人から数十人まで多様。CD、データなど音源を持参して舞台裏のスタッフへ流してもらうよう打合せ。
余興者用控室がある施設も多く、時には新郎新婦が飲食も準備させることがある。
手作りの衣装や小道具が準備され仲間の披露宴には必須余興となっているものも。
ヘビーローテーション・ライジングサン・女々しくてなどなど
舞踊
日本舞踊、空手演武、琉球舞踊を始め、フラダンスなど世界各国の踊り。新郎新婦がかぎやで風を舞台上で舞うことを和装入場とした例がありました。
その他風変りな余興
・地元で放送されているヒーロー「琉神マブヤー」になりきった子供参加型・舞台上でスイカや二人にちなんだ食材の早飲み・早食い
・目の前の招待客を引き込むクイズ形式、ダンス形式など列席者巻き込み型
さまざまな余興が生まれてくるのでこれが一概にオーソドックスとは言えないのかもしれませんが、日々進化して新曲が発表される琉球民謡のようにウチナーンチュはどこまでも余興を愛しています。
満を持して登場するのは「エイサー」と「カチャーシー」
エイサーは沖縄の民俗文化を代表するウチナーソールダンスと言えるのではないでしょうか。阿波踊りやソーラン節のように地元に昔から根付いている集団的踊りで、曲も伝統的な曲ももちろんありますが沖縄の歌手がエイサーも視野に入れて曲を発表されたりするのでどんどん新作の踊りが出てきます。県内の各部落にある青年会が地元の年配者から習いうけた伝統踊り、会社のメンバーで作ったオリジナル踊り、小学校から大学まで有志が集まってできた踊りまでさまざまなものがあります。上記画像はある夏祭りの一コマ。
地元青年会のメンバーの勇壮なエイサーです。この人数がホールに出向き、エイサー太鼓とエイサー締め太鼓、そしてパーランクーと呼ばれる小太鼓を持った8人前後が舞台上で残りは会場のスペースを見つけて踊ります。衣装もオリジナルをもっていて踊りの所作もグループによって特徴があります。空手演武を交えてみたり、バック転など空中殺法ばりにところせましと動いたり。それはそれはカッコイイの一言!もし沖縄に移住する機会がある方は、まわりの知人に声をかけてエイサーを習ってみてください。普通に暮らすよりも早く地元の人たちとコミュニケーションを取ることができる上、沖縄の文化にふれる良い機会だと思います。
またカチャーシーというのは祝いの席でみなが入り乱れて喜びを表現した踊りで「かき混ぜる」という意味で、両手を上に掲げ女性は広げた掌を男性は握り拳にして曲に合わせて手首を回す踊りです。テレビドラマ「ちゅらさん」や映画「ナビィの恋」でもそのシーンが大切に映されています。しかし本土の方が初めて踊るとなぜか阿波踊りに、曲調が沖縄独特のものであるためかなかなか難しいらしいです。 カチャーシーもまた代表曲は「唐船ドーイ」(さあ踊れ踊れと誘う歌詞)、「豊年音頭」(豊かな実りを祝うおめでたい曲)が有名。
披露宴の最後にカチャーシーは必ずあります。エイサーは演者が決まらなければ行いませんが、カチャーシーは式場の音響スタッフが必ずストックしている曲の一つです。この時ばかりは足腰の弱いおじぃもおばぁも、保育園生までも席を立って踊りだし、舞台上で新郎の胴上げが行われたりしながら約5分時間が許す限り踊りまくります。舞台の底が抜けるのではと思うほどの人数が上がってしまうと司会者も収拾できなくなる時も多くあり、最後は音を消しても踊っている顔を赤くした親戚のおじさんが照れながら席に着く姿が毎度のことと笑って済ませてしまうのが沖縄人らしいところです。
いかがでしたでしょうか、ウチナーニービチの真骨頂である余興。
本土から初めて参加されるときはこちらを参考にして、ぜひおふたりがあとから「よかったよ」と言ってくれる余興を行ってください。もしできましたら恥ずかしがらずにカチャーシーは周りと手を取り合って場をかき回してほしいと思います。
琉装の新郎新婦
(和装とも違って沖縄らしさが人気)
最後に
アドバイザーとして新郎新婦に余興者への配慮などをアドバイスさせていただくとしたら、余興には必ずリーダーを3か月前には指名しておくことと、ヨゴレ系などは事前にくぎを刺しておくことをお勧めします。
リーダーを決めておけば余興の内容や練習などの監理を一元化して情報を得られることが目的ですが、あくまでも余興の内容は余興者に任せておきましょう。
せっかくの余興を事前にすべて把握しておくことはもったいないですよね。あと余興の内容によっては会場側から叱られてしまいますので、絶対に危険性のある内容のものは避けて、衆人の面前で余興が行われることを改めて忠告しておくようにしておいてください。またおふたりが会場側との打合せ時に気を付けておきたいことは、その余興で持ち込む物のリストを事前にアドバイザーへ伝えておくようにしてください。
余興時に流すビデオやCDやデータなどは、当日早めに担当へ渡して置き余興リーダーがスタッフと一緒に確認作業を行えるよう来場時間などを打合せしておいてください。
スタッフも大概のことは経験していますが、持ち込んだビデオが長時間かかることや会場でビデオとは別にダンスも含んだ余興であるなどさまざまな演出を考えてこられてくるはずだと考えています。
ですからその内容や所要時間などを細かく打合せしておき、開宴前に舞台上でリハーサルもできる場合もありますのでそれを踏まえて余興者に打合せをしておくよう伝えておきましょう。
この記事を書いた人
著者 : ドルフィンポポ
沖縄の結婚式場にブライダルアドバイザーとして数百組を担当。4年務めた経験から友人・知人の披露宴の幹事を担当することも。現在はWebライターとして沖縄を拠点に仕事をしています。